窓辺のレモンティ

日々の思いや考えを綴る、瀬戸こなつのブログです。

自分で考えて、自分で決める。

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 以前の記事でも書いたように、最近の私は自分の心本質から離れてしまっていた。

 

 最初は自分がハンドルを握って運転していた。けれどいつの間にか、他の誰かにハンドルを奪われ自分は地面に引きずられるように走っていたのかもしれないな、と思う。そして「ハンドルを奪われた」と感じているけれど、おそらく自分で渡したのだろう。

 

 日常の流れに押されて忙殺され、考える暇などなくなってしまった。忙しさに文字通り、心を亡くしていた。「考えていたらやっていけない」というような感覚もあったかもしれない。本質は霞み、基準となる軸は自分から他人に移ってしまっていた

 

 本質は普段の生活の中で見えにくくなってしまいがちだと思う。最初は綺麗にしていても、徐々に常識世間体周りの意見や反応という雑草が生い茂って絡み付いて、かき分けて行かないとたどり着けなくなる。

 

 これからも雑草は生えてくるだろう。でも今度生え始めたら、それに気づいて刈り取り、いつでも自分の本質を見つめていきたいなと思う。やはり私は自分の気持ちを大切にして、自分で考えて、自分の人生を生きたい周りの反応はどうであれ、自分はどうしたいのか。環境や条件など抜きにして、自分は何がしたいのか。何が好きなのか。

 

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 この前、「働きたくない」というあなたへ(山田ズーニー著)という本を読み(決して働きたくないわけではない)、自分の人生を生きる上で大切な視点を改めて学んだので、ここに引用して記しておきたい。

 

 考えるとは、「自分に問う」ことだ。考えることを通して、自分と交信し、自分という氷山の奥底にある、自分の想いを汲みあげ、言葉にし、表現する。考えることを通して、自分らしい言葉・行動が生まれ、自分らしい選択ができるようになり、選択が意志になり、進路になる。

 

 考えることは自分と繋がる、通じる行為なのだ。周りに流されたり、他の人の意見に従ったり、なんとなくで決めたりせず、自分に問いかけて、しっかりと心の声を聞こう。このブログは自分の思いを表現できる場であり、考える場でもある。私にとって、自分らしい選択をする足掛かりにもなっているのかもしれない。

 

 「自分で考えて決める」

決めたら、言葉にして、行動として、「出す」。周囲とぶつかってみる。失敗を引き受ける。唯一それだけが、勉強のために今を犠牲にしてきた生き方から、仕事のために今を犠牲にしていく生き方への連鎖を断ち、自分の時間を取り戻す道ではないか。たったいま、この瞬間から。

 

 「自分で考えて決める」とはシンプルで当たり前だけれど、最も重要なことだ。自分の選択を振り返ってみると、知らず知らず誰かの価値観や意見に従っていたのではないか。日常生活の、本当に些細な選択と決断から意識しよう。そして結果を受け止める、引き受ける覚悟を持とうと思った。

 

 まわりに合わせ相対的に生きることから、自分の中心から出てくるものを信じて進む絶対的な自分へ。環境に合わせる自分から、環境に働きかける自分へ。自分を円だとしたら、周りの環境から円の表面にいろんないいものをくっつける自分から、円の中心から必要な環境を取り入れていく自分へ。

 

 以前書いた「根拠のない自信」の話にも繋がるけれど、まずは何もしていなかったとしてもただ存在する自分の価値を信じて認めること。そして重要軸を自分に持ち、あらゆる面で自分の中心から外に向かって広がっていくような、そんな意識を持ちたいと思う。

 

 筆者は「私は、自分の経験や実感のなかから自分の答えを模索していくことに自由を感じる性分だ。」「私が欲していたのは、ただごくフツウに自分の頭で考えることだった。」と述べている。私も筆者と同じ考えだ。自分の意志と直感を大事にし、自分の頭で考えて、自分に合った答えを見つけていきたいと思っている。