窓辺のレモンティ

社会人となり数年。日々の思いや考えを綴る、瀬戸こなつのブログです。

満員電車の中で「通勤」について考える。

       f:id:seto-konatsu:20170702164434j:plain

 

 私は毎朝1時間以上かけて出勤している。電車はもちろん混んでおり、おしくらまんじゅう状態もしばしば。途中、反対方向からの電車とすれ違うことがある。その電車に乗る会社員の方々を見て、「私たち職場交換した方が良いんじゃないですか…」なんて心の中で思ったりもする(あまりにも単純…!)。帰宅ラッシュの混雑もひどく、座席に座れることはほとんどない。そんな毎日の通勤に嫌気がさしている人は、きっと多いと思う。

 

 このような状況を解消しようと、3月に西武鉄道座れる通勤列車S-TRAINが運行を開始し、話題となった。座席指定の通勤電車には近年鉄道各社が力を入れており、来年春も京王電鉄で運行が開始される予定だという。さらに東京都の小池知事は「満員電車ゼロ」を実現しようと、「時差通勤」「2階建て通勤列車」の導入などを提案していた。

 

 私たちも通勤により奪われる時間の莫大さを知っているので、電車内の時間を少しでも有効活用しようと資格試験や語学の勉強に励む人もいる。

 

 これらの対策は、良さそうに見えるかもしれない。座席指定の通勤列車についても、座れるならばありがたいと言う人もいるだろう。しかしいずれも「長くて苦しい通勤をどうすれば少しでも快適なものにできるか」ということに焦点が当てられている。つまり、「通勤ありき」の考え方なのだ。これでは根本的な解決には程遠いと思う。

 

 そうではなくて、通勤しなければ良いのではないか。今、果たして通勤する必要はどの程度あるのだろうか。その意味はあるのだろうか。

 

       f:id:seto-konatsu:20170702165528j:plain

 

 例えば、生産設備の面から考えてみる。これはフリーエージェント社会の到来」(ダニエル・ピンク著)という本にも書かれていたことである(非常に感銘を受けた本だ)。

 

 産業革命直後、生産設備は巨大で複雑かつ高価であったため、個人が保有することは難しかった。そのような時代には道具のある管理者のもとに労働者が集まり、仕事をすることは意味があったと思う。

 

 だが今はパソコンでの作業も多くなっている。インターネットは個人が持てる技術であり、わざわざ会社に出向く必要はないように思われる。私の仕事も考えてみれば(その仕事が必要かどうかはひとまず置いておく)、在宅での対応が可能だと思う。

 

 さらに組織本来の機能という面からも考えてみたい。そもそもなぜ組織が必要となるのかドラッガーは「マネジメントとは、人にかかわるものである。その機能は人が恊働して成果を上げることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。」と述べている。つまり人々が協働し、互いの長所を活かして、一人では達成できない目標を成し遂げるために組織は存在するはずなのだ。

 

 しかし実際は、パソコンを前に個々に仕事をしている場合も多いのではないだろうか。また会議やミーティングを例に考えてみると、私の会社では開くことすら無駄ではないかと思われる会議や単なる情報伝達が多い。社員が集まって活発な議論を交わしたり、各々の意見や視点が刺激となりより良いアイデアが生まれる、というシナジー効果が期待できない。組織本来の機能である、協働のメリットを活かすような機会すらほぼ無いというのが実態だ。

 

        f:id:seto-konatsu:20170702170425j:plain

 

 当然、個々の強みを発揮し、うまく機能している組織もあるだろう。だが私も含め周囲の話を聞くと、そういった企業はあまりにも少ない。どうもわざわざ何時間もかけて職場に集合する意味が見出せないのだ。

 

 このように、以前は必要だった通勤が、最近では意味が薄れているように思う。それなのに通勤は長い間ずっと変わらなかった。それを変えるためには、時差勤務に留まらない、働き方の抜本的な見直しがやはり必要だと思うのだ。 

 

「雇われない働き方」という選択肢を、もっと。 の記事でも書いたように、雇われない働き方、つまりフリーエージェントという選択がより一般的になることも重要だろう。組織で働くにしても、在宅勤務など様々な選択肢の導入が必要だと思う。通勤電車の問題も、働き方の見直しが無ければ、根本的な解決にはならないと感じる。

 

 もし、通勤がなくなったらどうなるだろうか。人生さえ変わるかもしれない。少なくとも、スーツを着て窮屈な空間の中で勉強したり、本を読んだりしなくても良い。座ったままの体勢で隣の人に押されながら睡眠を確保しなくても良い。ベッドや布団で十分に睡眠をとり、家でゆっくりと自分のやりたいこと、したい勉強ができると思うのだ。