窓辺のレモンティ

社会人となり数年。日々の思いや考えを綴る、瀬戸こなつのブログです。

空間の新陳代謝を促すと、滞っていた気が流れ出す。

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 私が断捨離に出会ったのは、恥ずかしながら今年に入ってから。たまたま図書館で見つけた本が、断捨離の提唱者であるやましたひでこさんの著書だったのだ。数年前に流行したときには私自身関心が無かったらしく(あまり覚えていない)、本を読むまでは「断捨離」という言葉だけ知っているというレベルだった。

 

 何となく、断捨離=「ただ物を捨てる」という認識があったのだが、とんでもない。表面的な行動だけ見ると、確かにモノを捨てることがメインなのだが、ただモノを捨てるにあらず。

 

 本を読んでいくと、断捨離とはモノを通して自分と向き合い、人生をより良く生きるための哲学なのだということがわかった。本当に奥深く、考え方や価値観、人生までをも大きく変える力を持っていると感じた。

 

 断捨離は「不要・不適・不快」なものを「要・適・快」に入れ替えていく作業だ。やましたさんは著書の中で、目の前にあるモノ・コト・ヒトが自分にとって「要るのか、要らないのか」、「相応しいのか、相応しくないのか」、「心地よいのか、心地よくないのか」を考え、思い、感じ抜き、選択・決断していくことだ、とも述べている。

 

 その際の判断基準として大切なのは、「今」の「自分」にとってどうかということ。

 

 例えば、いつか使うかもしれないからとっておくのではなくて今必要かどうか、モノが使えるか使えないかではなく、自分が使いたいかどうかが重要なのだ。

 

 つまり断捨離を続けることで、過去や未来にブレがちな時間の軸を今に戻し、重要軸をモノや他人ではなく自分に据えていくことができるのだ。この訓練が今の自分を生きることにもつながってくると思う。

 

 本を読み進めると私の片づけ意欲はどんどん高まっていき(片付けはマインドが9割と言うが本当)、少しずつ断捨離を開始した。最初は捨てるかどうかの判断が難しかったが、徐々に感覚をつかみ、軸もしっかりしてくるため判断ができるようになってくる。

 

 例えば一度要ると判断をしてとっておいたものも、また何日か経って見返すと、要らないなとわかり捨てられたりする。

 

 これまで約半年間ちまちまと取り組んできたわけだが、今までにない膨大な量のゴミが出た(決してゴミ屋敷に住んでいたわけではない)。今思えば詰め込み過ぎだったクローゼットの中は空間ができ、風通しの良さを感じる。

 

 モノを循環させて空間の新陳代謝を促すことがいかに重要か、体感することができた。目には見えないが、気の流れが変わるというのも感覚的に理解できる。

 

 不要・不適・不快なモノを取り除いて、停滞や淀みに満ちた空間に流れを取り戻していく。確かに、大切な「命の入れ物」である住まいを整えると、自ずと自分も整っていくのがわかる。

 

 考え方も随分変わったのではないかと思う。断捨離はこれで終わりというものではないので、今後も継続するつもりだ。

 

 それから、断捨離をするとやりたいことが明確になったり、人生が好転する人が少なくないという。とても小さなことかもしれないが、私がブログを開始したことも断捨離と関係があるのかもしれないなと思った。