窓辺のレモンティ

社会人となり数年。日々の思いや考えを綴る、瀬戸こなつのブログです。

「自分を大事にすること」は誰も教えてくれない。

      f:id:seto-konatsu:20170704174050j:plain

 

 相手の気持ちを考える、人に優しくする、他人を尊重する、相手の立場に立って物事を考える…等々。これは私たちが幼い頃からずっと教えられてきたことだ。

 

 コミュニティや社会の中で他者と生きるためには、自分の意見だけ通そうとしたり、わがまま放題に振る舞ったりしてはいけない。協調性を養い、スムーズな人間関係を築くためにも、これらはもちろん必要なことだと思う。

 

 こうして「他者の尊重」は当然のように共通の価値観として私たちの中に深く根付いている。一方で、「自分を大事にする」ことはどうだろうか。「自分を大事にしなさい」とは、案外教えられないように思う。

 

 思えば私もいつも誰かに気を遣い、相手のことを考えて、その場にふさわしい言動を心掛けていた。そのうちに「相手がどう感じるか」、「相手にとって好ましいことか」、「人にどう思われるか」ばかり気にしてしまい、いつの間にかその判断基準は「自分」を上回るようになってしまった。

 

 辛くても笑顔で、やりたくなくても従順に、やりたいことでも言わずに。

 

 自分の気持ちを押し殺し、本当の感情には蓋をしていた。見ないふり、聞こえないふりをしていたということである。そして自分で自分を無視して、犠牲にしていることにすら気付いていなかった。

 

 そのうちに感覚もわからなくなって、自分が何を感じて、本当はどう思っているのか、何が好きなのかさえ把握できなくなり、自分が無くなってしまった。これは私が実際に体験したことでもある。

 

 「自分を大切に」なんて当たり前のことで、教えるまでもないことだから、教えられないのかもしれない。でも私のように極限まで自分を犠牲にしてしまう、そういう人は今大勢いる気がするのだ。

 

 だから私は、語弊があるかもしれないが、あえて言いたいと思う。「自分の気持ちを一番大事にしましょう」「他人より自分を優先しましょう」「自分に優しくしましょう」「自分自身を誰よりも大切にしましょう」「あなたが一番大切です」と。

 

 自己中心的にわがままになることを奨励しているわけではない。けれど、自分を尊重するという概念が抜け落ち、自分を大事にすることをすっかり忘れている人は意外に多いように思うのだ。

 

 本来一番大事にすべき存在なのに、他者尊重の価値観の方があまりにも強すぎると感じることもある。心が悲鳴を上げ、心身ともに不調をきたす要因の一つは、こういうところにもあるのではないかと考えている。

 

 周囲の反応や評価、世間の目や声を全て取り払ったとき、自分がやりたいこと・好きなことは何か、反対に嫌いなこと・やりたくないことは何なのか。自分に嘘をつかないで、しっかりと耳を傾けてみて、行動する。

 

 常に他者を重んじてきた人は、一度自己中心的にわがままに振る舞ってみることも効果的かもしれない。そのような経験がほとんど無いからだ(私もそうだった)。初めは上手くいかないかもしれないが、徐々にバランス感覚も身に付くだろう。このようにして、周囲や他人に移っていた軸を、本来の自分に戻すのである。

 

 そして自分の軸が確立した上で、時にはそれを意図的に他者に移す。それは自分の気持ちもしっかり把握し受け止めたうえでの判断であり、自分と相手への本当の思いやりなのだと思う。