窓辺のレモンティ

社会人となり数年。日々の思いや考えを綴る、瀬戸こなつのブログです。

自分で自分をおとしめていないか。

       f:id:seto-konatsu:20170710210853j:plain

 

 モノに対する無意識・無自覚は恐ろしい。

 

 断捨離に目覚めてまだ日の浅い私だが、不要・不適・不快なモノを捨てていく中で、身の回りのモノに対して自分がいかに無自覚であったかを痛感した。

 

 それは現在自分が使っているもの、身に着けているものと改めて向き合ってみた時のこと。普段使っているボールペンやシャーペンは企業ロゴの入った貰い物だった。少し高めのお洒落なグラスは食器棚にお客様用としてとって置き、自分はどうでもいいようなコップを使っていた。

 

 その他にも、まだ使えるから、もったいないから、と未だに使い続けているバッグ。部屋着も、気に入っているというよりは、バーゲンで安く購入できたものを着ることが多かった。

 

 恥ずかしい話だが、自分がときめくもの、お気に入りのもの、好きなものが自分の周りにはほとんど無かったのだ。これは結構な衝撃だった。

 

 断捨離本にも書かれているが、これでは自分で自分をおとしめているようなものだ。「自分にはこういうものが似合っている」「このレベルのモノがちょうど良い」と、モノを通して毎日頭の中に刷り込み、負のセルフイメージを植え付けているのと同じである。

 

 これに気付いた私は、どうでもいいようなものを自分に与えるのではなく、これからはお気に入りのモノを使おう、もっと自分を可愛がろうと思った。大切なのは「今」の「私」である。他人の機嫌ばかり気にしていたが、自分をごきげんにするのが一番だ、と。

 

 そして不思議なことに、「出すと入ってくる」のだ。

 

 呼吸とは言うけれど吸呼とは言わない。出入り口とは言うけれど、入り出口とは言わない。このように何事も出す・捨てることが最初で、その後に自然と入ってくるのだ。人間の体や自然の法則と同様に、執着していたものを手放すとそこにスペースが生まれ、自分の望むものが本当に入ってきたりする。

 

 今までの私はとにかく節約志向で、もったいないという意識も非常に強く持っていた。今でもその意識は持っているが、形は幾分変わったように思う。確かにもったいない精神も大切ではあるのだが、循環・代謝という観点自分が心地良いかという視点を忘れてしまっては寂しい。

 

 徐々に「不要・不適・不快」なものを「要・適・快」に入れ替えていき、自分のお気に入りのモノに囲まれて、自分を大切にした暮らしをしたいと思う。