窓辺のレモンティ

社会人となり数年。日々の思いや考えを綴る、瀬戸こなつのブログです。

子供は生きたいように生きている。

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 子供を見ていると、すごいと思うことがある。

 

 嫌なものは「いや!」好きなものは「すき!」欲しいものは「ほしい!」

 

 不思議に思ったら、どんなことだってすぐに聞いてしまう。好きな遊びにはとことん夢中になる。ところ構わず走り回って、疲れ切って眠くなったら寝る。

 

 何だか「生きたいように生きている」という感じがしてとても良い。その素直さ、シンプルさ。潔さとも言うべきか、生きるってこういうことだよなと改めて思い出させてくれる。

 

 子供たちが自由なのは、何より自分に対する制約が無いということが大きい。

 

 私たちは大人になるにつれて、様々な常識を身につけていく。他者のことを考え、どのような場面でどのような振る舞いをすれば良いか学んでいく。時と場合を十分に考慮し、その場面に適した言動をする。

 

 これらは当然、社会で生きていく上で必要不可欠ではあるのだが、いつの間にか制約や制限で雁字搦めになっている自分に気付く。

 

 常に周囲の反応や世間の目を意識し、周りからどう思われるかを考える。その結果、委縮してしまい、自分の本当の気持ちを抑制してしまうことは間々ある。「こうしなければならない」「こうあるべき」という観念が強すぎるあまり、自分はどうしたいのかという本質が見えなくなることもある。

 

 結局は自分で自分を縛り付けて、世界を狭め、生きづらくしているのかもしれない。そもそも、それは本当に常識なのか?自分の単なる思い込みではないのか?そんなことを問いかけながら、日常のいろんなシーンで少しずつ自分に許可を出していくと、世界は変わるかもしれない。

 

 自分が「こうあるべき」という固定観念を強く持っているということは、相手にも同様のルールの適用を求めているということになる。

 

 ルールから外れた言動を見たり、そんな人と関わったりすると、瞬く間に気分が害されてしまうだろう。例えば店員さんの態度に腹が立ったり、電車内のマナーが気になったり。一つ一つが目についてイライラ・カリカしてしまうのは、あまり良いものではない。

 

 うまく言えないが、決してルール違反やマナー違反、非常識な振る舞いを推奨しているわけではない。だが自分に許可を出して、自分に課している制限を今よりも緩められたならもっと楽に自由に生きられるような気がするのだ。

 

 「私はこうしても良い」「ああしても良い」「もっと自分の心を大切にして良い」、そう、小さい子供のように。自分を許すことで、他人にも寛容になれると思う。子供が自由なのは全てを許しているから、とも言えるかもしれない。子供のまま大人にはなれないけれど、子供のように生きられたらな、と思う。