窓辺のレモンティ

社会人となり数年。日々の思いや考えを綴る、瀬戸こなつのブログです。

「でもさ、会社ってそういうものだよね。」

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 社外の友人は貴重だ。会社と家とを往復する日々を送っていると、いつの間にか人間関係も社内で完結してしまい、話をするのは同僚ばかりということにもなりかねない。

 

 同じ組織で働き、同様のルールを常識だと考える人とばかり固まっていると、内部の世界にどっぷり浸かることになってしまう。

 

 そんなときに社外の友人など、外部の人間と接すると、組織に染まりかけていた自分に気付くことができる。第三者として別の視点を提供してくれるので、自分の状況を客観視することもでき、気持ちを確かに持つことができる。

 

 だから友人と会って話をすることは、会社で働く今の私にとって大きな救いとなっている。先日もちょうど集まる機会があったので、他の話題と共にみんなで仕事の話もした。

 

 その時に組織や仕事、働き方に対する疑問や違和感を話したのだが、一人の友人から返ってきたのは以下のような言葉だった。

 

 「でもさ、会社ってそういうものだよね。」

 

 社会に出るというのはそういうこと。会社が理不尽なこと・おかしなことだらけなのは当たり前。気持ちはもちろんわかるけれど、私が語るのはあくまでも理想論に過ぎないのではないか。好きなことで食べていけるのはほんの一握りであるし、みんな妥協しながら何とか折り合いをつけて生きている。現実を見たら、そんなに甘えたことは言っていられない。そんな感じだった。

 

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 大手企業に就職した周りの友人の中には、会社を辞めたいと口にする人も少なくない。彼女もその一人だ。だが諦めているというか、これは仕方ないことなのだと受け入れて働いている人が多い。一般的にもそうなのだと思う。

 

 もちろん、それで働き続けるのも一つの選択ではある。そこで働くのが最善な人もいるだろうし、仕事に何を求めるのかも人それぞれだ。これは考え方や価値観の違いであるから、何が正解というわけではない

 

 辞めたいと思いながらも、彼女のように割り切って上手に耐えることのできる人もいる。周囲ではその方が多数派だ。

 

 私も入社したての頃は、疑問や違和感、馬鹿馬鹿しさは感じながらも、まだ組織の理論にそこまでの抵抗感は抱いていなかったと思う。組織とはこういうもので、社会に出るとはこういうことで、社会人になるとはこういうことなのだと思ったし、納得させていた部分もあった。

 

 だがそのうちにギャップやずれは広がり、疑問や違和感は日々積み重なっていき、もはや修復できないほどになってしまった。今は怒りにさえ変わってしまうくらいの感情になっている。

 

 割り切って組織に居られる人もいる一方で、私はとても耐えることは出来ないと感じている。周りからは不思議に思われることもあるが、どうしても受け入れ難く、拭えない違和感があるのだ。

 

 それでもまだ迷ったり、葛藤があるのは、心のどこかでは先の友人が言うような気持ちも持っているからだろうと思う。つまり、私もいろいろと書いてはいるけれど、自分自身に染みついている昭和的な価値観が間違いなくあるということだ。

 

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 私は動機と行為の完全な一致を求めているわけではないし、別の選択なら苦労が皆無だなんて思っているわけでもない。(ただ、今まで頑張ることが全てだと思っていた私も、「苦労しなければ幸せになれない」などというのはある種の幻想に過ぎないのではないかと思うようになった。)

 

 安易に、転職すれば、あるいはフリーエージェントになれば全てが上手くいくと考えているわけでもない。でも自分にとっては、やはり今の状況は耐え難い。

 

 生きることは、きっともっとシンプルなものだと思う。自分がやりたいことをやる、自分が好きなことをやる。そうしてもっと自由に生きていくこと、働くこともできるのではないかと今は思っている。

 

 甘いだの、現実を見ろだの、じゃあやってみろだの言われると思うが、考えてみればそれが一番「自然」だと思うのだ。やってもいないのになぜ出来ないと決めつけるのか。現状を「仕方のないこと」だと甘んじて受け入れる必要はないし、諦めてしまうこともないと思うのだ。

 

 ありのままの自分でいること、自然な状態でいることは、自分が楽しく、幸せでいられる秘訣でもある。結局は自分の心に素直に従うということが一番上手くいき、自分にとって最も良い結果をもたらすのではないかと考えるようになった。