窓辺のレモンティ

日々の思いや考えを綴る、瀬戸こなつのブログです。

物事は常に変化するもの。変化をまるごと受け入れる。

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 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」

 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」

 

 どちらも、この世の無常を表現している。変わることなく続いて見える物事でも、よく見れば移り変わっている。常に同じものはこの世には存在しない。永久不変なものはなく、永遠に続くものもない。万事は常に移り変わり、絶えず変化している。

 

 この世は無常である。そんなことはわかっている、つもりだった。

 

 昨日も書いたが、私にはトラウマのようになっている過去の出来事がある(誰しもあると思う)。その当時、私は次のように決心した。「このことと、今感じている怒りや恨み、悔しさは絶対に忘れちゃいけない」「周りはきっと、すぐに忘れると思っているんだろう。でも私は騙されないぞ」なんて思っていた。

 

 この決心をずっと意識して覚えていたわけではない。しかし何度乗り越えたつもりでも、その過去(その後の苦しい日々も)から解放されない。現在も、未だに癒えていないと感じる瞬間がある。月日が流れても完全には消化されず、時々顔を出しては、私を苦しめ続けていた。

 

 そんな時に、もう一度過去のことを考えてみた。そして先ほどの、遠い昔の自分の決意を思い出したのだ。

 

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 当時の気持ちを忘れてしまうこと、大人になって許してしまうことは、幼い頃の私が最も恐れていたことだった。忘れてしまったら、変わってしまったら、自分との約束を破ることになる。その時の自分を裏切ることになる、と無意識のうちに思っていたのかもしれない。

 

 私は心のどこかで変化することを恐れ、受け入れられなかったのだと思う。頭では理解しているつもりでも、本当の意味では分かっていなかったのだ。

 

 私は変わることが嫌だったし、自分だけは変化しないと決意していた。もしかしたら「もう許してしまおうか」という思いが出てきても、「いや、ダメだ」と思い直していたのかもしれない。そうして、心の奥では当時の感情をずっと握りしめてきたのだ。今も自分が苦しみ続ける原因はそこにあったのかもしれない。

 

 けれど、変わることは悪いことではなかった

 

 変化しても良い。むしろ変化することが当然であり、それが自然の摂理なのだ。そして重要なのは、自分自身も変化する存在であること。一瞬たりとも同じ自分は存在しない。今この瞬間も一秒一秒、あらゆる形で変化している。

 

 私は変わって良いんだ、昔の気持ちと同じじゃなくても良いんだ、流れて良いんだ。それが自然であり、この世の摂理でもある。心や考え方は変わる。好きなものだって変わるし、付き合う人間も変わっていく。そうか、同じものなんて何一つ無い、全て変化する。それで良いのだと、やっと気付いた。そう思ったら、少し気が楽になった

 

 初めて変化することを受け入れられた気がする。

 

 過去の自分が遠い昔に決断したことは、もう手放しても良いのだ。これは当時の自分を裏切ることではないのだと思った。当時の幼い私は、大人になっても苦しむ自分の姿が見たかったわけではない。楽しく幸せでいることを誰よりも望んでいるはずだ。だから自分の幸せのためにも、握りしめていた手を開いて、変化を受け入れたいと思ったのだ。