窓辺のレモンティ

社会人となり数年。日々の思いや考えを綴る、瀬戸こなつのブログです。

一番大切なのは、自分の心だったのに。

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 以前の私は、「努力して結果を出して成長していく」ことが全てだと思っていた。頑張ることしか知らなかったのだ。自ら進んで困難な道を選び、辛くても苦しくても耐えて、乗り越えていった。

 

 だがある時ついに限界に達してしまい、心身ともにバランスを崩してしまった。それは本当につらい日々だった。けれどこの経験で、今までなら絶対に変えることも、ましてや聞く耳も持たなかったであろう考え方にシフトすることができた。

 

 価値観が大きく変わった。自分を大切にすること。人生を楽しむこと。頑張りすぎないこと。バランスをとること。空間や余裕、遊びの重要性も初めて知ることができたのだ。

 

 何を一番大切にすべきなのかよく見えた。心と体の健康、自分を大切にして、これからは楽しく生きていこうと決めた。

 

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 しかし考え方の癖は染みついているのか、知らず知らずのうちにまた頑張ってしまっていた。周囲からの期待に応え、求められている役割を演じ、誰よりも頑張る。そして、身体に不調が出てきた。「生き方がズレている」というサインだった。

 

 少し前から、「これはまたまずいかもしれない」と思っていたのだけれど、なかなか日常生活の流れに逆らうことができず、そこから少し走り続けてしまった(この流れから脱出するのは、走行する電車から、あるいは高速道路を走る車から飛び降りるようなイメージだ)。何とか手遅れになる前に自分で気付き、止めることができたけれど。

 

 あの時の経験を経て、私は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ということを身をもって知ったのだ。もうあんなことにはなりたくないと思って、常に自分でセーブをしてブレーキをかけながら日々の生活を送っていた(今は頑張ってしまったけれど、それでもセーブしているつもりだった)。頑張ることには極端に憶病になっていたと思う。

 

 しかし、「頑張ること」自体が悪いわけではないのだ。確かに何事においても過剰は好ましくないし、バランスをとることも大事だと思う。でも、一番大切なのはその中身だった。

 

 自分が本当にやりたいこと、好きなことに、自分のために夢中で取り組むのであれば、それは素晴らしいと思う。問題は、自分が本当はやりたくないこと、嫌なことをやり続けていることなのだ。おかしいと思っていることに従ったり、言いたいことも言わずにいたり。そして自分ではなく誰かのために、無理をして頑張ることが問題なのだ。

 

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 今回の原因もそこにあるのだろうと思う。自分の気持ちを誤魔化して、自分の心に嘘をついていた。周りの人ばかり気にして、結局は自分を大切に出来ていなかったのだ。

 

 医学の父ヒポクラテス「人間は自然から離れると病気に近づく」という言葉を残している。自然環境からも離れるとともに、まさに、ありのままの自然な状態や、心が望んでいること素の自分から離れてしまっていたのだ。

 

 そうは思うのだけれど、なかなか難しい。まっすぐ歩いているつもりだったのだが、ふと顔を上げて周りを見回すと、最初に居たはずの道からどんどん曲がっていって、今ではかなり逸れている。それに気付いてまた正しい道に戻るような、そんな感覚だ。

 

 また同じことをしてしまったと情けなく、悔しくなることもある。落ち込んでしまうこともある。けれど、こんな試行錯誤の状態ではあるけれど、それでもここで気付けただけでも進歩だろうか。そう捉えて、また歩いていけばいいのだろうか。

 

 本来の生き方を教えてくれた、生かしてくれた経験を忘れないように自分にとって何が最も大切か、もう一度自分の胸にしっかりと刻みたいと思う。