窓辺のレモンティ

日々の思いや考えを綴る、瀬戸こなつのブログです。

「根拠のない自信」は最強かもしれない。

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 以前、好きなバンドのライブを観に行ったときのこと。ボーカルの人は、まだ無名だった自身の若い頃を振り返ってこう言った。

 

 「夢だけは持っていましたね、あと根拠のない自信(笑)」

 

 本人は笑って、会場も笑って、もちろん私も笑っていたのだけれど、「根拠のない自信」というのは、実は最強なのかもしれないと後から思った。確か、心屋仁之助さんの本でも読んだことがある。

 

 「根拠のある自信」だと、その根拠が無くなってしまったら自信も消滅してしまう。いわば、条件付きの自信なのだ。

 

 昨日も少し書いたのだけれど、昔、私が頑張っていたのは、心から楽しんでやっていたわけではない。頑張って結果を出すことで、何とか周囲からの評価を得て、承認の手ごたえを感じ、自分が少しでも価値のある存在だということを辛うじて確かめるような、そんな作業だったのだと思う。

 

 思い返してみれば、どこかで勝手に思い込んでしまった自己肯定感の低さというか、自分が出来損ないであるかのような思いが私にはずっとあったのだ。

 

 承認というのは、言葉にすれば「ここで、このままいてよい」ということである。それを確かめるための、必死の頑張りでもあったのではないかと今では感じている。そうすることで、自分を保っていたのかもしれない。

 

 でも、それで自信が持てるのもほんの一瞬だけだ。少しでも立ち止まってしまえば、たちまち不安が広がる。今の状態からさらに上を目指していくために、もっともっと頑張り続ける必要がある。だから苦しいのだ。

 

 一方で、「根拠のない自信」は、あるがままの自分に対してある、決して揺るがない自信だ。頑張っていてもいなくても、客観的に見たら役に立っているなんてとても思えなくても、たとえ何もしていなくても、こうして生きているだけでも自分の存在価値を自分で認め、信じられていることなのだと思う。

 

 「絶対に成功する、上手くいく」というよりも、「仮に上手くいかなくても自分は大丈夫」、というような自信なのだろうなと思う。

 

 「根拠のない自信」があると、評価や承認のための頑張りはもちろん必要なくなる。シンプルにやりたいことをやり、好きなように生きることができるかもしれない。周りの意見がどうであれ、自分の道に自信を持つこともできるだろう。そんな、自分に対する根源的な自信を持って、生きていきたいなと思う。